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ショートエッセイ#12『一口残った弁当』

西日本の一部地域には「ヒダル神」という奇妙な伝承がある。峠道や山中を歩いていると突如としてこの神が旅人に襲いかかり、冷や汗、手足のしびれ、めまいなどをもたらし、最終的には行き倒れさせるという。人通りの少ない峠道で行倒れてしまったら最後、その者の命は無い。故にこのヒダル神、古来より大変に恐れられてきた。特に人通りの少ない山中では注意が必要とされた。そしてこのヒダル神に襲われることを回避するための対策が、「弁当は常に一口分を残しておけ」というものである。この残された一口の弁当がヒダル神への“宥め物”であり、それを差し出すことで怪異を退ける、というわけだ。
一見すると民俗学的な神話の類にも思えるこの話には、実は冷静な医学的根拠が潜んでいる。旅の途中で襲いかかる冷や汗やしびれ、めまい――これらは極度の空腹、すなわちブドウ糖不足による低血糖症状である。人は血糖値が急激に下がると、たちまち心身の働きが鈍り、倒れてしまうことさえある。しかしこの状態は、少量の炭水化物を摂取すれば速やかに回復する。「ヒダル神を宥める一口分の弁当」とは実は、緊急時の非常食であり、生き延びるための知恵なのだ。この話に感心するのは、恐怖や神秘の形を借りながら、極めて実践的な知恵が民間の中で受け継がれてきた点である。「弁当を残す」は怪異への供え物と見せかけて、実は医学的に根拠のある対処法であった。実に、人間の生活知の奥深さを感じさせる逸話である。
ところで、現代を生きる私たちの人生にも、この「一口分の弁当」は必要なのではないか。効率的に、計画的に、すべてを使い切る生き方は一見して賢く見える。しかし、余白も猶予もなく生きていれば、予期せぬヒダル神のような出来事――心の飢え、感情の低血糖、関係のしびれ――に襲われたとき、倒れてしまう。「すべてを出し切らない」ことには、知恵がある。時間にも、感情にも、体力にも、「一口分」を残すこと。それは怠惰でも無責任でもない。むしろ、明日を生き延びるために必要な、尊い構えなのである。聖書は繰り返し「休むこと」や「満ちることを避けること」を教えている。とりわけ六日働いて一日を主にささげる安息日の概念は「一口分の弁当」に似た神の知恵であると言えるだろう。しばしば「忙しくて礼拝出来ない」という声を聞くが、よく考えてほしい。礼拝出来ないほど忙しい状態は人生としてだいぶ危険な状態ではないだろうか。礼拝という一口分の弁当の残りを常に備えておけるくらいの余裕をもって日々を歩みたいものである。
