Home > ショートエッセイ > ショートエッセイ#13『カラスの薬は人間に効くか?』

ショートエッセイ#13『カラスの薬は人間に効くか?』


 先日、カラスがゴミ捨て場を漁っていた。じぃーっと観察していると、なるほどやはりカラスというのはとても頭が良い動物だなぁと感心させられる。自分がどう動けばどうなるのか、という因果関係が分かっているようで、実に巧みにゴミを漁っていた(その後、彼らが散らかしたものは私が片付けた)。

 動物界でもずば抜けて頭が良いと言われるカラス。そんなカラスは体調管理方法も実にユニークだ。カラスは体調が悪くなると、アリの巣の近くで翼を広げ、アリに体を這わせる。アリが分泌するギ酸には抗菌作用があり、これによってカラスは回復へ向かうという。この行動は「anting」と呼ばれ、一部の鳥類に見られる一種の自己治療行動であるらしい。

 なるほど、自然の知恵は実に驚くべきものだと思う。しかし、ではこの方法を人間が真似たらどうなるか。アリに群がられ、ギ酸を浴びるとなれば、アレルギー反応や炎症を起こす恐れがある。カラスには「良いもの」が、一転して人間には「害」になる。つまり、誰かにとっての良薬が、別の誰かにとっては毒になるということである。

 私たちの社会は今、こうした「それぞれに合った正しさ」が際立って尊重されている。「人それぞれ」「自分に合った生き方」「自分にとっての真実を大切に」――これらの言葉は、多様性の尊重という点では大切だろう。だがその結果、「どんな価値も誰かにとっては意味がある」「真理は個人の数だけある」と思い込むようになっていないだろうか。少し硬い言葉遣いになってしまうが、それらは相対的な正しさであって、絶対的に正しいとは言えない。数年後には簡単にひっくり返されているかもしれない。

 しかし聖書は違う。聖書は、誰か一部の民族や、限られた時代や、特定の性質を持つ人々のためにだけ記されたのではない。すべての人にとって価値があり、すべての人にとって命となる。そのために神様の言葉は、民族も時代も超えて語り続けられている。「聖書の教えがはまらなかった」という時代や環境は存在しない。そう思われるときにはいつだって受容側の手違いがあった。

 だから、もし「自分には聖書は必要ない」「自分にはピンとこない」と思う人がいたとしたら、それは聖書が無力なのではなく、まだ知られていない問題や取り違えがあるということになる。カラスに価値あるギ酸は人間には毒だ。しかし真水はカラスにも人間にも価値がある。聖書と言う真水に生かされる私たちでありたいものである。