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ショートエッセイ#15『花火の音は、花火の音ではない。』

先日テレビで「なぜ花火があがるときにはヒューと音がするのか」というのが紹介されていた(ボーッとしていると叱られるやつである)。曰くあのヒュー音の正体は、花火の火薬球に仕込まれた「笛」だそうだ。つまりあの音は自然と出ている花火の音ではなく、わざとそういう音が出るように造られているのである。ではなぜ音が出るように造られているのか。そもそも音と光では音の方が遅く伝わる。だから花火の「ドン」という爆発音が聞こえた頃には、既に花火は光り終わっている。もし露店などで買い物中に「ドン」と聞こえ「おっ花火か」と音がした方向を向いても、そのころには空には既に何も見えないことになる。そこで爆発前に「ヒュー」という音を聞かせることで、花火が爆発する前に皆が注目できるようにしているそうだ。なかなかよく考えられているなぁと感心した。
神様が私たちの人生に直接働きかけてくることがある。その導きに従うか無視するかは私達の自由だが、神様の導きであるならばなるべく従っておきたい。ところが問題は、どれが神様の導きか分からないということである。神様の導きと思ったものがただ自分の独りよがりだったなんてことは珍しくない。そう考えると神様の導きは花火でいう「ドン」という音に似ている。音が聞こえた頃にはもう見えないのである。しっかり見て受け止めるためには「ヒュー」という上昇音を聞かねばならない。では神様の導きをしっかりと見て受け取るための「ヒュー」音を、私たちはどこで聞くことが出来るのだろうか。
やはりそれは、礼拝ではないだろうか。神様を知らずして「何が神様の導きか」を見極めることなどできるはずがない。礼拝は私たちが神様を知り、神様と共に歩むための備えと整えをする時間である。この時間があるからこそ、日々の中で神様が喜ぶことや嫌うことを見極めることが出来るようになるし、その積み重ねによって「何が神様の導きか」を見極めることが出来るようになる(もちろん完全にとはいかないが)。だから礼拝は言わば、夜空と言う人生において花火という神様の導きをしっかり鑑賞するための前段階の「ヒュー」音なのである。礼拝という備えを伴った日々を歩もう。
