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ショートエッセイ#16『「休み方改革」を!』

テーマパークとして来場者数世界一を誇る東京ディズニーリゾート。私はこのリゾートで過ごす数日間がとても好きで、それを励みに日々の仕事に精を出してきた。ところが今年はウイルス騒動のために遠方に赴くことは控えざるを得なくなった。そこでやむなく県内の温泉付きホテルなどに宿泊し近隣の食事処などを巡る計画をたてた。正直最初は「普段の休みほど満喫は出来ないだろうし、惰性で過ごす休暇になりそうだなぁ」と考えていた。ところがいざそうやって過ごした数日間は、実に充実した素晴らしい休暇であった!新しいものを見、食べ、ライフスタイルを整え、なにものにも追われることなくゆっくりした時間を過ごし、とても贅沢で素晴らしい休暇となった。
昨今「働き方改革」という言葉が盛んに叫ばれている。しかし本当に必要なのはむしろ「休み方改革」ではないだろうか。さらに言えば私たちが働き方を改めたいと願うのも、突き詰めると「休みをもっと充実させたい」という願いが根底にあるように思う。つまり私たちは皆「休み方改革」を求めているのである。では私たちは普段どういう「休み」を過ごしているだろうか。何をもって私たちは「休んだ」と言えるのだろうか。
聖書は「ただ怠惰に過ごせば休んだことになるわけではない」と指摘する。確かに体力と気力さえ回復すれば動き続けることは出来る。しかしそれはただ「動いているだけ」であって、意味や意義を伴った歩みとは言い難い。そこで聖書は休みに際して「自分が何者で、何が大切で、何を整えるべきで、そして何をなすべきか」を再認識できることを重んじる。更に聖書は、これらと向き合うためには「神様と向き合う必要がある」と考える。こうして、私たちにとって必要な休みは、神様と向き合う時間を含むこと、つまり礼拝を含む安息日(日曜日)だ、となるわけである。
礼拝は人生の「休み時間」である。私たちの毎日がただ動いているだけでなく、真に意味と意義を持って歩むために、神様と向き合う休み時間である礼拝は欠かせないのだ。
