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ショートエッセイ#19『悲しみ上手』

今、日本列島が暑い。一時は梅雨前線が消失するという事態もあって、とにかく暑い。教会も既にエアコンを稼働している状態である。これだけ暑い・寒いが激しいと、空調機器はもはや生活必需品であろう。とりわけ夏場は空調機器なしでは生命の危険すらある。
ところで、しかしこの空調機器使用には注意も必要である。梅雨から夏前にかけて徐々に平均気温があがっていくなかで、私たちも身体も夏に向けた準備がなされる。暑さに対する身体の反応がスムーズになされるように調整される。いわゆる「身体が夏に慣れる」というやつである。しかし早い時期から空調を使用せざるをえなくなると、身体の夏に向けた準備が不十分になり、身体が十分に汗をかけなかったり発熱がうまくできなかったりして熱中症のリスクが高まる。厳しい暑さが続くとつい「暑さなんて無い方がよい」と考えてしまうが、実はそうではないのだ。温度に対応して適切な反応が過不足なくなされる、それは私たちの身体にとってとても大切なことであり、そしてそれらの機能を健康に維持するためには暑い時期も必要なのだ。
似たようなことは私たちの人生全体についても言える。たとえばわたしたちは「悲しみは無いほうがよい」と考え、なるべく悲しい出来事が無いように人生を調整しようとする。あるいはそのように教える自己啓発本や人生哲学は多い。しかし聖書は「悲しみを減らすように」とは教えない。聖書にこんな言葉がある。
「笑う人と共に笑い、泣く人と共に泣きなさい」
聖書が教えるのは、「悲しみと向き合う」ということである。そもそも悲しみとは、想定外の出来事である。そして想定内というのは予想が出来ているということなので、実は人は想定内の出来事より想定外の出来事の方が多くを学んだり得たりすることが出来る。更に人は順調な時にはあまり熟考せず、不調な時にこそ悩んだり考えたりする。更に更に、人は順調な時には考えややり方を変えようとはせず、不調な時にこそ考えややり方を変えようとする。このように、実は悲しみというものは私たちを大きく変える力を持っている。だから悲しみは暑さと同じで、全く無いとそれはそれで健康を害するのだ。
しかし丸腰で悲しみと向き合うのは危険だ。悲しみには痛みをもたらす作用もあるからだ。その点、教会は悲しみと向き合う専門機関だ。イエス様の死という大きな悲しみを神様からの恵みとして受けとる術を研究し続けてきたからだ。もしあなたが悲しみを糧にしたいと願うならば、ぜひ教会の礼拝に出てみてほしい。悲しみ上手になろう
