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ショートエッセイ#2『本当に開けるべきカギは、ただ1つ』

ある時、とある男が車のカギを車内に残したままカギをロックしてしまった(いわゆるインキーだ)。そこで男は業者に呼び、「近くのレストランにいるので、鍵が開いたら呼んでくれ」と言った。ところが、30分経っても、1時間経っても、業者から音沙汰がない。不審に思った男が車に戻ると、業者は大汗をかきながら解錠作業を続けていた。
男「もうずいぶん経つのですが、まだですか?」
業者「もうほとんど終わっています。既に助手席と後部座席のカギは開きました。あとは運転席のカギだけです。」
運転席のカギが開けば、そこから車内全てのカギを開けることが出来る。しかしこの業者は何を思ったのか、運転席を後回しにして、几帳面にもそれ以外の全てのカギを開けようと必死になっていたのである。解錠のスキル自体は持っているのだから、最初から運転席のカギを開けるべきであったろう。
これはいわゆるアメリカンジョークの1つであるが、しかし、私たちも同じ類の几帳面さをしばしば発揮しがちではないだろうか。私たちの日々は例えるなば、様々な鍵穴と向き合いつつ歩んでいるようなものである。そして私たちはそれらの鍵すべてを解錠せねばならない、と焦っている。しかしそうやって焦る若者にイエス様はこうおっしゃった。
「あなたは多くの事に思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。」
イエス様のこの言葉は、先の業者にぐさりと刺さるであろう。では私たちはどうだろうか。本当に開けるべきひとつのカギと、きちんと向き合えているだろうか。もしかしたら後部座席のカギばかりいじってはいないだろうか。大事なことは、開けたカギの数ではない。何のカギを開けたかである。聖書を通して、そして礼拝を通して、人生全体を今一度見直してみてはいかがだろうか。
