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ショートエッセイ#23『なぜ夏風邪は長引くのか』


先日、ある教会員とこんな話をした。私が7月末に夏風邪をひいて思った以上に長く苦しんだ際に「夏風邪は治りにくい」という言葉を身をもって体験することになったわけだが、はてさてなぜ夏風邪は治りにくいのか?どうやら、夏風邪そのものが特別に頑固な病気というわけではないらしい。夏だろうが風邪は風邪である、夏風邪の問題はウイルスではない、夏という環境にある。

冬なら「温かいものを食べて、暖かくして、しっかり寝る」という回復の王道コースが自然にできる。体も心も「休め」というモードに入りやすい。しかし夏はそうはいかない。外は蒸し暑く、冷たいものばかり欲しくなる。冷房の効いた部屋で体を冷やし、食欲も落ちる。布団にくるまって眠るより、タオルケットを蹴飛ばして眠る夜のほうが多い。結果、回復のために必要な環境が整わず、風邪が長引くのだ。

この現象は、私たちの人生にもよく似ている。人は誰しも、思いがけない「人生の風邪」をひくことがある。仕事の行き詰まり、人間関係の不和、思いがけないアクシデント、心の疲れ、目には見えない不安や孤独。それ自体が私たちを一瞬で倒すほどのものではなくても、その後の過ごし方によっては長引き、深刻になる。多くの場合、それは「病そのものの重さ」よりも、「回復のための環境」が整っていないことに原因がある。

そして、人生の回復環境の中で私が最も大切だと思うのが、礼拝である。礼拝は、私たちの心を静め、神の言葉に耳を傾けるための空間だ。それは夏風邪に必要な「温かい食事」と「温もりのある寝床」のようなものである。礼拝の場は、心の栄養と休養をバランスよく与えてくれる。礼拝で私たちは、聖書の言葉を通してとにかく励まされる、慰められる、将来への希望が与えられ、明日を目指す活力が与えられる。礼拝はただのセミナーや講演会ではない、実際に力をもらえるからこそ、今も礼拝に人が集うのだ。

こうした礼拝のような時間を定期的に持つことは、私たちが知らず知らずのうちに溜め込んだ疲れや不安をほぐし、再び歩み出すための環境を整えることでもある。もちろん、礼拝があってもすぐにすべての悩みが消えるわけではない。しかし、夏風邪も温かい食事と休養を続けるうちに回復していくように、礼拝を通して少しずつ心の回復が進んでいく。だからこそ、礼拝は一度きりではなく、繰り返し必要なのだ。

というわけで、夏風邪の回復に「温かくして寝る」という基本があるように、人生の回復にも「礼拝で静まる」という基本があるのだ。私たちがこの環境を大切に整えるとき、神はそこに確かな回復の力を与えてくださる。さて、あなたの人生の環境はいま、どのような状態だろうか。もしかすると、心は少し冷えてはいないだろうか。もしそうなら、礼拝から始めてみてはどうだろう。それはきっと、あなたの人生を温め直す第一歩となるだろう。