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ショートエッセイ#26『しがらみは良い物だ!』


「柵」という漢字がある。この漢字、普通は「さく」と読む。しかしこの漢字には他に読み方がある。それが

「しがらみ」

である。よく「しがらみに捕らわれた人生」とか「しがらみの多い環境」という言い方をするが、あの「しがらみ」が実は「柵」という漢字なのである。ちょっと意外である。

 そして、私たちはどちらかというと「しがらみ」という言葉を、あまり良い意味で使っていないように思うし、良いイメージが無いように思う(上記の例えのように)。しかし本来の意味にまでさかのぼると、ずいぶん印象変わるように思う。それが以下である。

「水流をせき止めるために、川の中にくいを打ち並べて、それに木の枝や竹などを横に結びつけたもの。」

 どうだろうか。こうなると悪い意味どころか、むしろ重要で必要なものであることが分かるだろう。生活圏を破壊しようとする濁流を食い止めたり、水流をコントロールして水田に水をひくための役割を、しがらみは果たすのである。川に近い村や水田を持つ村にとって、これはなくてはならない重要なアイテムだ。さてそうなると考えずにいられないのは「私の人生には今、どんなしがらみあって、どう機能しているだろうか」ということである。私たちの人生の上にも、様々な事柄が流れを作って押し寄せてくる。それらを時に取り入れ、時に退け、必要なコントロールをすることが求められる。そしてそのためには「しがらみ」が必要なはずである。しかし私たちは「何が私にとってのしがらみか」ということをあまり考えずに、その時の気分や情緒でえり好みやコントロールをしてはいないだろうか。

 聖書が教える人生のしがらみは「神様を信じること」である。神様が喜ばれることを望み、神様が嫌うことを退け、神様が私にもたらすものに目を向け、神様が私から退けようとしている事柄がなんであるか知る。神様を信じることで、私たちは人生のかすがいを得るのである。そしてこのかすがいの上手な使い方を教わるのが礼拝だ。こうして教会は今日も、かすがい設置とその操作説明にいそしむのである。皆さんもぜひ人生にかすがいを設置しようではないか。