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ショートエッセイ#3『君のリュックは君は重いから』


 先日、某スーパーでこんな光景を目にしました。小さな子どもが大きなリュックを背負い、家族と一緒に歩いていました。ただそのリュックは明らかにその子には重すぎるようで、フラフラしながら歩いています。しかしよく見ると、後ろにいるお父さんがリュックの上をそっと持っていました。そのおかげで、子どもはまるで自分だけの力でリュックを持っているかのように堂々としています。お父さんが後ろで支えていることにその子は気付いていませんでしたが、確かにその子はお父さんの支えのおかげで重いリュックを背負って歩くことが出来ていました。

 さて、その光景をぼんやりと見ているうちに、「ああ私たちもあの子と同じだな」とつくづく思わされました。私たちも日常の中で「自分の力でやり遂げたと思っていることがあるかもしれません。あるいは「誰の助けも得られない」と嘆くこともあるでしょう。ですが今私たちがここにいて、空腹することも倒れることもなく生きていられるのは、これまで多くの助けや支えがあったからでしょう。それは時に家族や友人のように目に見えて分かりやすい助けだったかもしれません。しかし時にそれは体内で働く栄養素や免疫力、いつの間にか遭遇した機会や場面のように、目に見えず分かりづらい助けもあったことでしょう。いずれにせよ、あなたという存在そのものが、これまであなたを助けてきた様々な諸力の存在を証ししているのです。それはあのスーパーの子どもの姿がそれを支える父親の存在を物語っているのと同じように。ですから私たちキリスト教会はこうも考えます。それは神様が見えないところで手を差し伸べてくださった結果かもしれない、と。

 聖書にこんな言葉があります。「あなたの重荷を主にゆだねよ。主があなたを支えてくださる。」(詩編55:23)私たちの人生のリュックには本当にたくさんのものが詰まっています。重いです。重すぎて時にしんどくなることもあります。ですが忘れないでください、私たちは既にそのリュックでこれまで歩んで来られたのです。そしてそれはつまり、これまでだってちゃんと神様の支えがあったということなのです。ならばこれからだって、神様が支えて下さると、そう思いませんか?