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ショートエッセイ#34『100円玉、500円玉、千円札磁石にくっつくのはどれ?』


普通に考えたら「金属の硬貨に決まっている」と答えるだろう。ところが、正解は千円札である。偽造防止のために印刷に「磁性インク」が使われており、家庭用の磁石では反応しないが、強力なネオジム磁石を近づけると、紙幣がふわりと吸い寄せられる。見た目や材質からすれば、金属のほうが反応しそうに思えるが、実際に磁石を引きつけるのは紙幣のほうである。つまり磁石は見た目で判断しない。内側に何が含まれているかでくっつくかどうか決まる。

この現象は、信仰にもよく似ている。私たちは日常の中で、人を外側から判断しがちである。学歴、職業、家柄、所属などなど。それらは社会の評価基準としては便利だが、神様の評価基準とは無関係である。教会においても、「長く通っている人」「祈りの言葉が美しい人」「名の知れた牧師に学んだ人」など、外側の印象に目を奪われがちである。しかし神様の磁石にくっつくのは、そうした外側ではない。神様が反応されるのは、「神様と共に生きたい」と願う心の磁性である。

旧約聖書において、預言者サムエルが新しい王を選ぼうとしたとき、神様はこう言われた。「人はうわべを見るが、主は心を見る」

この一言に、神様の選びの本質がある。神様は外側の光沢ではなく、内側に秘められた磁性、「この人は何を求めているか」を見抜かれるのである。

磁石にくっつく千円札は、紙としてはきわめて脆い存在である。濡れれば破れ、風が吹けば飛んでいく。しかし内側に磁性がある限り、確かに磁石に反応する。人間も同じである。弱さや欠点を抱えていても、神様を求める心があるならば、その人はすでに神様に引き寄せられている。信仰とは強さの証明ではなく、神様に惹かれる心を持ち続けることなのだ。

だから、たとえ教会に通い始めた人でも、信仰歴が浅くても、立派な肩書きがなくても、それらは問題ではない。大事なのは常に「何を求めているのか」なのである。神様に惹きつけられる心を持とう。