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ショートエッセイ#35『あなたには毒?薬?』

アボカド。「森のバター」と呼ばれ、栄養価が高い健康食品として人気だ。サラダにも丼にも合う万能な果実であり、私たちにとってはまさにありがたい食材である。ところがこのアボカド、とても不思議な性質を持っている。人間にとっては栄養の宝庫である一方で、多くの動物にとっては猛毒なのだ。鳥類はアボカドを口にすれば死に至る。モルモットも死に至る。牛は激しい苦痛に襲われ、犬猫は下痢を起こす。人には益でも、他の生き物には害。ひとつの実でありながら、その意味は相手によって全く変わるのである。人間でよかった。
これはキリスト教信仰にも似ている。神を信じ、人生に意味と癒しを求め、希望を抱いて歩みたい者にとって、信仰は大きな助けとなる。神の言葉は迷った時の道しるべであり、疲れた時に支えてくれる力である。逆境の中でも歩き続けたい者には、信仰はまさに「人生のバター」のような栄養となる。
しかし一方で、「自分の力だけで生きていける」「誰の助けもいらない」と心を固めている者にとって、信仰は決して心地よいものではない。「新しい生き方」を提案するキリスト教は、既存の価値観に風を送り込み、心の中に波を立てる。思わぬ提案がなされることもある。だからその人にとって信仰は恩恵ではなく、かえって苦味を帯びた「毒」のように感じられるかもしれない。
信仰は、善良な人のためだけのものでも、強い人のためのものでもない。「神の力を必要としていると認める人」のためのものである。アボカドが人間の体質に合うように、信仰は「神に助けられて生きたい」と願う心にこそよく効く。逆に、心を閉ざし続ける者には、信仰の言葉は刺さり、苦く響くことがある。しかしそれは、信仰が害だからではない。体質が整っていないだけなのだ。
もしあなたの心に少しでも「支えがほしい」「新しい生き方をしたい」という思いがあるなら、どうか臆さず礼拝を試してみてほしい。信仰は、弱さを抱える者にこそよく染み込む。そしてその弱さを認める者こそ、神様の恵みを最も豊かに受けるのである
