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ショートエッセイ#36『人も車もすぐには止まれない』

最高速度で走る新幹線は、ブレーキをかけてもすぐには止まらない。停止までにおよそ四キロの距離が必要だという。大型タンカーも事情は同じで、停船までたっぷり三キロは必要だそうだ。あれほど巨大で思い物体は、たとえブレーキを作動させても慣性の力でなかなかすぐには止まれないのだ。
新幹線や大型タンカーに比べれば私たちはずっと小さく軽い。しかしその人生や命はずっとずっと重い。私たちは何かを変えたいと願う時「スイッチひとつで、すぐに止まり、すぐに変わる」ことを期待してしまう。しかし、人生はそれほど単純ではない。長く続けてきた疲れ、積み重なった悩み、染み付いた思考の癖などが、一瞬でぱっと消えてなくなることはない。大型タンカーが何キロもかけて徐々に速度を落とすように、私たちも時間をかけて徐々に変わっていくものなのである。
これは教会の礼拝も事情は同じだ。ある日突然、人生の問題がすべて解決し、心の曇りが一瞬で晴れ渡るということは多くない。もちろん神様の御業は時に驚くほど迅速であるが、信仰生活の多くは「徐々に効く」恵みで成り立っている。礼拝での祈りや賛美、静まりのひととき、聖書の言葉に向き合う時間は、目に見えないところで心のスピードを落とし、焦りや重荷を少しずつゆるめていく。「すぐに劇的に」などということを求める人ほど、むしろその効果は薄れるだろう。
聖書はこう語る。「あなたの御言葉は、私の足のともしび、私の道の光。」
ともしびは一瞬で世界を正午の明るさに変えはしない。しかし徐々にでも確実に足元を確かに照らす。闇の中に進むべき方向を示し、歩みの速度を整え、心の慌ただしさをゆっくりと鎮める。この「ゆっくりと整う」というのが礼拝の特徴だともいえるだろう。
新幹線もタンカーも、完全停止に至るまでには距離が必要だ。人間の心もまた、止まるには時間がかかるし、変わるには歩みが必要である。だからこそ、礼拝は通う事が大切なのである。それによって祝福は積み重なり、恵みは日々少しずつ効いていく。週ごとの礼拝は、心の速度を整えるための「信仰のブレーキ」なのだ。
