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ショートエッセイ#41『アメリカは消しゴムを見捨てた。』


アメリカにいとこが住んでいるのだが、時折変わったお願いをされる。「日本製の消しゴムを送ってくれ」というのである。なんでも、アメリカの消しゴムはほとんどがいわゆるプラスチック消しゴムというやつで、なかなか消せない上に固いからすぐ紙を破いてしまうという代物らしい。彼は以前日本で使ったゴム消しゴム(あの白と青のパッケージの消しゴムだ)に大変な衝撃を受け、以来、日本製のゴム消しゴムしか使えなくなったそうだ。消しゴム程度であれば我が家の経済力でも十分買えるし検閲だのなんだのにひっかかることもない。こうして私は時折、日本のよく消える消しゴムをアメリカに輸出している。

 ところで、毎回思うのだが、アメリカという国はなかなか滑稽なところがあるように思う。世界中を隅々まで監視できる衛星をばんばん打ち上げ、月面に人間を送りこみ、地球を何度も滅ぼせるほどの核兵器を所有し、あらゆる科学技術において世界トップレベルの水準を誇るあのアメリカが、満足に消せる消しゴムを作れないというのである。いや、現状の消し心地に満足しているということだろうか。それとも消しゴム自体にそこまでの需要が無いのだろうか。いずれにせよ、ずいぶん派手で大掛かりな事には力を発揮する一方で消しゴム技術は疎か、というアメリカがどこか可愛く思えてしまう。もしかしたら、日本のゴム消しゴムをアメリカで大々的に売り出したら、とんでもなく儲けることが出来るかもしれない(お!商売のチャンスだ!)

 しかしまぁ、アメリカの気持ちも分からないでもない。人間というのは、大掛かりで派手で大きな部分には熱心になる一方、小さな部分は疎かにしがちである。あるいはこうも言えるかもしれない。小さな部分に関しては「このくらいでいいか」という妥協点がずいぶん低いのである。それは小さな部分が小さいが故に影響が少ないから、ということもあるだろう(消しゴムは人工衛星ほど国益を左右しない)。しかし、改良を加えやすいのはむしろ小さい部分ではないだろうか(人工衛星より消しゴムの方が開発しやすいだろう)。

 私たちは人生全体がより良いものとなることを願うし、仕事や家庭の将来について色々考える。それはとても大きな部分だ。しかし私はこうも思う。「これからの15分をどう過ごそうか」と考えることも大切ではないかと。その15分を怠惰に過ごしても豊かに過ごしても、人生の大勢には影響無いだろう。しかし改善しやすいのはむしろそうした日常の1コマ1コマだろうし、その積み重ねがやがては大きな実りに(あるいは損失に)なる。アメリカが消しゴムを疎かにしたために私のいとこは苦労するはめになった。願わくば私たちは、人生の小さな一コマを疎かにしないように生きたい。