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ショートエッセイ#43『続きも味わおう』


 工事現場などで度々見かける「安全第一」という看板。誰しも目にしたことがあるだろう。ところでこの「安全第一」には続きがあるのをご存じだろうか。実はこの標語は、今から100年ほど前にアメリカの大手鉄鋼会社であるUSスチール社のエルバート・ヘンリーゲーリー社長が、工場の経営方針として発表したもので、全文はこうなっている。

「安全第一、品質第二、生産第三」

これは順番が大切で、安全より先に品質や生産を考えてはいけない、というわけである。あの有名な安全第一には、意外と続きがあるのだ。

 実は私はこうした、有名な言葉の「続き」を調べるのが好きだ。例えば…
「井の中の蛙大海を知らず……されど空の青さを知る」
「桃栗三年柿八年……柚子の大馬鹿、十八年」
「男は度胸、女は愛嬌、……坊主はお経」
「少年よ大志を抱け。……それはお金や自分の欲のためにではなく,また名声という空しいもののためであってはならない。人間として当然そなえていなければならぬあらゆることを成しとげるために大志をいだけ。」
どれも有名な言葉だが、実は続きがあるのだ。そして案外、続きの方が意味深だったり重要だったりするのだ。

 聖書の教えと言えば「罪の赦し」や「救い」であろう。そして多くの場合、上記の格言と同様に、そこで止まってしまっていることが多い。「罪の赦し」も「救い」も、ちゃんと続きがある。そもそも聖書が教えることは何か決定的な1つのことではない。「神様を信じて神様と共に生き続ける」という継続的な事柄について教えているのである。だから格言と同様に、そこで留まってはいけないのである。

 ケンブリッジ大学のアリスター・マクグラス教授がこんなことを言った。
「キリスト教は単なる教えや概念ではない。生き方の1つである。」
私はこの言葉がとても好きだ。一度覚えれば終わりとか、一度理解すれば終了というのではない。続きがあって、生きる事を通してその続きを続けることこそが聖書の教えなのである。