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ショートエッセイ#44『綺麗なだけじゃ綺麗じゃない』

「腥」という漢字がある。月に星と書く。夜空を思わせる、これ以上ないほどロマンチックな構成である。初めて見たとき、多くの人は「きれいな意味に違いない」と思うだろう。ところが、この字は「腥い」と書いて「なまぐさい」と読む。拍子抜けするほど意外である。美しい部品を組み合わせれば必ず美しい意味になるわけではないのだ。
香水やカクテルも同じである。高価で良い香りの成分だけを集めても、案外、平板な仕上がりになるそうだ。むしろ、少し癖のある香りや、安価で粗い要素が混じることで、全体に奥行きが生まれる。調和とは、きれいなものだけを排除的に集めることではない。異物を含み込み、緊張を抱えたままでこそ成立するものなのだ。
人生もまた同じ構造を持っているように思える。私たちはしばしば、美しいもの、楽しいもの、快いものだけで人生を満たしたいと願う。苦しみは少なく、悲しみは避け、痛みは早く処理してしまいたい。しかし、そのような人生は、果たして深いものになるだろうか。むしろ、美しさや楽しさに対して過剰に敏感になり、少しの不快や不足にも耐えられない、脆い生き方になってしまうのではないか。
悲しみや痛みは、決して望ましいものではない。進んで求める必要もない。だが、それらが人生に入り込んだとき、それを「混ざってはならない異物」として排除するのか、それとも「意味を持ちうる要素」として抱え込むのかで、人生の質や深みは大きく変わる。深みとは、削ぎ落とした結果ではなく、抱え込んだ結果として生まれるものだからである。
聖書は、人の人生から悲しみを即座に取り除く書物ではない。むしろ、嘆きや叫び、裏切りや痛みが、驚くほど正直に記されている。その中で語られる希望は、きれいに整えられた理想論ではなく、現実を通過した言葉である。だからこそ、浅くない。だからこそ、生きる者の足元に届く。
「腥い」という字は、美しさの裏側にある現実を示しているように見える。月と星だけでは、夜は完成しない。冷え、湿り、匂い、そうした要素を含んでこそ、夜は本当の夜になる。人生もまた同様である。美しいものだけを集めた人生ではなく、痛みや悲しみを含み込んだ、腥い人生を生きているだろうか。
今、私たちは問い直されているのかもしれない。きれいに整えられた人生を生きようとしていないか。深みを拒んだまま、表面の輝きだけを追いかけていないか。もし人生がどこか薄く感じられるなら、それは不足しているのではなく、排除しすぎているのかもしれない。
