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ショートエッセイ#46『最新鋭の聖書』

実はピラミッドが建設されていた時代、まだマンモスが地球上を歩いていた。
オックスフォード大学の創設はアステカ文明よりも古い。豊臣秀吉がなんやかん
やしていたころヨーロッパでは既に印刷技術が発達して書籍の発行がなされてい
た。こうした「あの時代、実はこうだった」という話が私は好きだ。思わぬもの
が昔からあったり、昔からあると思っていたものがつい最近だったりする。
聖書も、まさにその一つだと思う。多くの人は聖書を「古代の宗教文書」と捉
える。しかし、実際に読んでみると、驚くほど早い段階から、人間が生きる上で
本質的な事柄を教えていることに気づかされる。たとえば公衆衛生。病気の疑い
がある人を隔離すること、血や体液への不用意な接触を避けること、住環境を清
潔に保つこと。こうした考え方は、近代医学が確立してから生まれたものだが、
聖書の中では何千年も前からすでに具体的な指針として語られている。もちろん
当時の人々は細菌やウイルスという言葉を知らなかった。それでも、「命を守る
ためには、こうした振る舞いが必要だ」という知恵は、はっきりと示されていた
。
倫理や人間関係についても同じである。弱い者を守ること、力を持つ者が責任
を負うこと、怒りや欲望に振り回されないこと、共同体の中で互いに生きること
。これらは現代の自己啓発書や社会論でも繰り返し語られるテーマだが、聖書は
それらをはるか以前から教えてきた。
重要なのは、聖書が「後から正しさが証明された本」だという点である。時代
が進み、科学や社会制度が発展するにつれて、「あれ、これって聖書がずっと前
に言っていたことではないか」「実は聖書のこの記述、正しかったんだな」と気
づく場面が増えてきた。聖書は流行に乗って教えを変えたのではない。最初から、変わらない人間の現実を見据えて語っていた。だから聖書は、古いから価値があるのではない。何千年の現実に耐え続け、常に時代の最先端に立ち続けてきたから価値があるのだ。そしてそれは今日も変わっていない。今日も聖書は人々を慰め、叡智や文化を導き、芸術や哲学に示唆を与えている。人類最先端の聖書を読もうじゃないか。
