Home > ショートエッセイ > ショートエッセイ#47『リンゴも背中もかじる人々』

ショートエッセイ#47『リンゴも背中もかじる人々』


 保育園では毎月職員会議がある。私も特別な用事がない限りは職員会議に出席する。ところで、私がこちらに来てすぐのころから保育園の職員会議でこんな報告をしばしば聞いた。

「A君がB君をかじりました。」「子どもがついかじっちゃうのはよくあるのよねぇ」

 私は、なんとまぁ最近の子供は激しいなと思った。子供がつい噛みつくというのである。しかもそれはよくあることだというのである。なんとまぁ恐ろしい。しかし、職員会議への参加を重ねるうちに、どうも何か様子がおかしいことに気が付いた。果たして、そんなに度々「噛みつき案件」があるだろうか。気になった私はインターネットで調べてみた。

「かじるとは、ひっかくこと。主に静岡の方言」

 なんと!「リンゴをかじる」と言う時の「かじる」を、静岡では「ひっかく」という意味で使うそうなのだ!県外からきた私にとってそれは、驚きの発見であった。ところが当の職員たちは誰も疑問をもたず、ややもすればそれが全国標準の使い方であるかのように「かじる=ひっかく」と使っていたのである。静岡の方々に私はこう問いたい。じゃあ例えば「猫がかじった」と言った場合は一体どちらの意味になるのだろうか!?

 さて、この手の誤解は聖書でも多い。例えば「罪」という言葉を「悪事や犯罪」と考えがちだが、聖書ではこの言葉を「背きや無視」という意味で用いる。だから「神様に対して何も悪いことしたことない」という人でも、いや、そういう人ほど、神様を気にかけていないからむしろ罪がある状態なのだ。

 他にも「裁き」という言葉がある。これまた一般的なイメージだと「裁かれる=断罪され地獄に落とされる」という風に考えがちだが、聖書では「良し悪しが判定される」という意味でも用いられる。だから「自分が良しとされるために裁きを求める」とも言われる。

 そして決定的なのが「救い」である。「救い」という言葉には何か特別な意味合いがありそうに見えるが、聖書ではこれを「神様からの助け」という意味で用いる。誰だって、手助けは無いよりもあった方が良いだろう。このように、聖書が語ることは、極めて奇異で特別な事ではなく、むしろ誰にでも当てはまる当たり前のことだったりするのだ。あなただってもしかしたら、聖書の教えに対して何か誤解しているところがあるだろう。リンゴも背中もかじる静岡の皆さん、聖書に対する誤解を晴らしませんか。