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ショートエッセイ#49『覆面レスラーがスイーツを食べる方法』

先日、あるバラエティ番組を見ていたときのことである。覆面レスラーがゲストとして登場していた。番組の途中でスイーツを食べるコーナーになり、司会者が差し出したケーキを前に、彼はためらいなく覆面を外した。スタジオは騒然となった。覆面レスラーにとって覆面は単なる衣装ではない。覆面は彼そのもの、存在の象徴である。それを外すことは、敗北以上の恥とさえ言われる。その覆面をあっさりと外したのである。驚く周囲に向かって、彼はこう言った。「だって取らないと食べられないじゃん」。そう、取らないと食べられない、当たり前である。
人は皆、ある意味で覆面レスラーのようなものである。社会の中で、家庭の中で、職場の中で、それぞれの役割を演じて生きている。教師としての顔、親としての顔、上司としての顔、信頼される者としての顔。そこには責任があり、期待があり、その役割を果たすことは大切なことである。その覆面は立場や役割を抱える私たちを守る。しかし同時にその覆面は、私たちの本体を覆い隠す。弱さ、寂しさ、不安、渇望といった、最も人間的な部分を隠してしまう。
私が思うに、人生には覆面を外す瞬間が必要ではないだろうか。自分の本心と向き合うとき、痛みや苦しみに対処するとき、成長を求めるとき、覆面をつけたままでは出来ない。覆面を外して初めて、人は口に食べ物をいれることが出来る。そう、人生もまた、取らないと食べられないのである。
聖書は、人が神様の前に立つとき飾る必要はないと語る。いやむしろ、覆面を外したまま立つことを求める。強いふりをする必要はない。立派なふりをする必要もない。渇いているならば、渇いたまま立てばよい。満たされていないならば、満たされていないまま立てばよい。覆面を外した者だけが、本当に与えられるものを受け取ることができるからである。
かの覆面レスラーは言った。「取らないと食べられないじゃん」。それは単なる冗談ではなく、人間の本質を突いた言葉であった。人生において本当に必要なものを受け取るために、私たちはどこかで覆面を外さなければならない。そして教会の礼拝は、覆面を外す時間でもあるのだ。
