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ショートエッセイ#5『26日の私たちになろう』

ケンタッキー・フライドチキンがクリスマスシーズンに特別な存在感を放つことは、日本ではよく知られている。毎年12月24日と25日の2日間だけで、年間売り上げの約7%を叩き出すというのだから驚きだ。その二日間、店舗は長蛇の列、予約も殺到し、従業員たちは総動員でフル回転する。
しかし、そんな熱狂が去った翌日、12月26日には何が起こるかご存じだろうか?売り上げは大幅に落ち着き、店舗は静けさを取り戻す。そして、ケンタッキー好きの間では、「26日のケンタッキーは特に美味しい」という噂がある。その理由は、店舗で使用される揚げ油にあると言われている。クリスマスの二日間、チキンが大量に揚げられたことで油が酷使されるため、26日にはその油が新しく交換されるのだ。新しい油で揚げられたチキンは、クリスマス当日とはまた違う、特別な美味しさを提供してくれるという。
この話は、私たち自身の生活にも通じるところがある。慌ただしい日々を過ごしていると、私たちの心もまるでケンタッキーの揚げ油のように疲弊していく。忙しい仕事、絶え間ない情報、複雑な人間関係…私たちは日々、精神的にも肉体的にも消耗しながら動き続けている。もちろん、それが人生の一部であり、避けられない現実だ。しかし、もし油を交換せずに使い続けたらどうなるだろうか?揚げるチキンはどんどん劣化し、味も香りも失われるだろう。同じように、私たちの心の油が交換されないままだと、日々の疲れやストレスが蓄積し、やがて自分自身の味わいを失ってしまうのではないだろうか。
そこで必要なのが、「心の油を交換する日」である。私たちの心を新たにする時間、疲れを癒し、再び前に進む力を得る時間。それが礼拝の役割だ。礼拝は、ただ神に祈りを捧げる時間ではない。それは同時に、忙しさの中で曇ってしまった心を清め、疲れた心に新しい油を注ぐ時間でもある。礼拝を通じて、私たちは神の言葉を聞き、賛美を歌い、祈りを捧げる。それらはすべて、心の油を交換し、私たちがまた新しい一週間を生き抜くためのエネルギーを与えてくれる。
ケンタッキーのチキンが新しい油で揚げられるように、私たちも心の油を新しくしなければならない。ずっと同じ状態では、私たちは次第に疲弊し、味わいを失ってしまう。忙しい日々の中で、礼拝という「心の油交換の日」を忘れずに持ちたい。新しい油で揚げられたチキンのように、私たちもまた、神の恵みの中で新鮮な力を取り戻すことができるのだ。
