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ショートエッセイ#51『そのヒビ、大丈夫?』


 長年、食いしばりに悩まされてきた。気がつくと歯に力が入っている。寝ている間も無意識に噛みしめているらしい。そしてついに先日、奥歯に亀裂が走った。ただの亀裂と侮るなかれ、これが猛烈に痛い。亀裂つまりただのヒビである。歯が欠けたわけでも折れたわけでもない。しかしその痛みは尋常ではなく、「電撃痛」とも呼ばれるそうだ。というわけで歯医者で治療してもらおうとしたのだが、その治療もまた痛い(しかも私は麻酔が効きにくいということで更に痛い)。歯の奥深くまで届く刺激に、「たかがヒビ」と侮っていた自分の甘さを思い知らされた。

 しかし、この経験から気づかされたこともある。それは、小さな亀裂を放っておいてはいけないということである。目に見える破壊が起きていなくても、内部では確実に損傷が進んでいる。やがてある日、耐えがたい痛みとなって表面化する。しかもそのときにはすでに対処が難しくなっていることも少なくない。これは人生のさまざまな出来事や人間関係も同じである。私たちは日ごろ、ちょっとした違和感、ほんのわずかな行き違い、言葉にしなかった不満や悲しみ。そうした小さなヒビを「この程度なら大丈夫だろう」と見過ごしてしまうことがある。しかし心の内部では静かに負荷が積み重なり、やがてある日、思いがけない形で「電撃」のように噴き出す。怒りや絶望、決定的な断絶として現れることもある。 

 聖書は繰り返し「そのままにしておくな」と教える書である。怒りを抱いたまま日を越すな、和解できるなら早く和解せよ、罪に気づいたなら悔い改めよ。いずれも、小さな亀裂を放置することの危険を知らせる言葉である。

 もちろん人生は忙しく、目の前の課題や責任に追われ、心の違和感にまで手が回らない日もあるだろう。「そのままにしていること」がずいぶんあるように思う。しかし、だからこそ意識的に立ち止まり、点検する時間が必要なのだろう。歯の定期検診のように、自分の心や関係性にも「メンテナンス」が要るのだ。 

 痛みが走ってからでは遅い場合がある。取り返しのつかない損傷になる前に、治療の決断をする勇気が求められる。小さなヒビに気づいたときこそ、回復のチャンスなのだ。人生の亀裂もまた、早めに向き合えば向き合うほど、深い痛みを避けることができるのではないだろうか。