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ショートエッセイ#53『礼拝は奥歯である』

歯が痛い。私の奥歯は長年の食いしばりによって大きなヒビが入り、それが神経に刺激を与えて「電撃痛」と称されるほどの激痛をもたらしている。先日の再診でとうとう「これはもうヒビが奥まで入っていてほぼ欠けているので、神経を抜いて処置しましょう」となった。加えて「こういう状態だと麻酔が効きづらいので頑張って下さい」と言われた。結果私は麻酔があまり効いていない状態で奥歯の神経を抜くことになった。これが、んもう、とにかく、めちゃくちゃ痛かった。痛かった・・・・・・。
というわけで神経を抜き、ヒビで分裂しかかっていた奥歯の欠片を除去し、除去した部分はセメントによる固定がなされた。こうして私は引き続き「柔らかいものしか食べられない生活」しかも「処置後しばらくは水分のみ」となった。で、とにかくこれが痩せる痩せる。このコラムを書いている時点で既に、年明けからなんと4キロも痩せた。凄まじいペースのダイエットである。
私は身長174㎝、体重はナイショだがそこそこ巨漢である。対して分裂した奥歯の欠片はほんの1cmほどの小さな破片、箸の先っちょほどのものである。ところがその箸の先っちょほどの小さな奥歯の欠片が、身長174㎝の身体全体を萎ませているのである。実に、見た目の大きさで影響の大きさは測れないのだ。
聖書にこんな言葉がある「からし種ほどの信仰でも、山が動く」
からし種は小さな小さな種である。そしてこの場合の「山が動く」は実際の山ではなく、それほど大きな事柄だって動かせる、という意味である。かの奥歯の欠片同様、影響力の大きさは見た目では測れないのだ。
私たちの人生だってそうである。ほんの少しのことで劇的に大きく変化させることが出来る。あるいは、変化してしまうこともある。もしよい方向への変化を願うならば、そういうものを「ほんの少し」でも取り入れると良い。その点、教会の礼拝はうってつけだ。何せ週に1時間だけである。そのわずかな時間が人生全体に劇手で大きな、良い変化をもたらしてくれる。あるいはその礼拝が無いためにどれだけ人生に損失が生じているか、とも思う。そう、礼拝は、人生の奥歯なのだ。
