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ショートエッセイ#54『時間をかけよう』


 歯が痛い。私の奥歯は長年の食いしばりによって大きなヒビが入り、それが神経に刺激を与えて「電撃痛」と称されるほどの激痛をもたらしている……と、この文章から始まるコラムももう何週に渡っている。皆さんの中には「またか」と思われた方もおられるかもしれない。が、私の戦いはまだ終わっていないのだ。先日の通院で、ヒビ割れ内部の消毒が無事に終わった。これは針金で内部をぐりぐりし(これがとにかく痛い)、消毒液を注入してセメントで封をし、一週間したらまたセメントをはがして同じ工程を繰り返す、というものである。中にはこの工程が3度4度続く人もいるそうだが、幸い私は2回で終わった。ようやく痛い処置は終わり、あとは型を取って被せ物をすれば終了である。実に一か月以上に渡る口腔内工事であった。そう、実に一か月である!一か月もあれば、ちょっとしたプレハブなら何棟もたてられるだろう。ところが、あの小さな小さな奥歯のひび割れを治すのに、実に1か月もかかるわけである。おー痛い痛い。

 とかく私たちは「治療」とか「回復」と言うと、お手軽で素早くなされることを願う。教会を訪ねる人々も、人生の大きな悩みを「この一瞬、牧師と話す数十分ですっきり解決したい」と願っているようである。しかし、そうはいかない。奥歯だって1か月である。私たちの人生に関わる悩みや課題がそうそうお手軽に素早く解決することはないし、もしそうやってお手軽に素早くどうにかなった場合には大抵、解決したのではなく「無かったことにした」だけだったりする。

イエス様はこんなことを仰った「壊れた神殿を三日で建て直してみせる」。

 これを読むと多くの人々は「たった三日で!?」と思う。しかし私は逆に「神の力をもってしても三日かかるんだな」と思う。そう、何事も、時間が必要なのである。

 教会の礼拝は、人生を治療するための特別な時間だ。時間をかけなければ何事も解決しない。礼拝時間を使って、人生を建て直そう。