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ショートエッセイ#57『終わり方を想像すれば、やり方がわかる』


 私の奥歯の進捗を知らせるこのシリーズももうpart7である。思わぬ長期連載となってしまった。で、先日、ついに被せ物が装着された。あとは少しずつ嚙み合わせや装着具合の微調整を数度行い、完成だそうだ。やれやれ。

 今回の私の症状は要するに奥歯が割れた、という状態なのだが、とにかくこの「奥歯クラックの根幹治療」というやつは厄介で複雑で激痛で、そして期間が長い。一般的な虫歯ならば該当箇所を削って詰めればOKらしいのだが(らしいというのは、私に虫歯の経験がないのだ)、今回のケースでは砕けた部分を取り除き、神経の管を何度も殺菌洗浄し、そして残った歯に寸分の狂い無くピタッと新しい歯を嵌め込まないといけない。ほんのわずかでもズレるとすぐに被せ物が取れてしまうし、その被せ物の高さも高すぎると削れるし低すぎると機能しない。というわけで、まだまだ微調整は続きそうである。やれやれ。

 ところで、しかしこんな興味深い話も聞いた。なんでも「中には途中で治療を断念する人もいる」そうだ。なにせ痛い。そして期間が長い。というわけで仮封という、セメントで上からがばっと抑えて固める仮留めの段階で「もうこれでいいや」と治療に来なくなる人がけっこういるらしい。私もセメントによる仮封は2週目から施されていたので、そこで断念するなら期間は短いし、その後の殺菌洗浄の激痛を何度も食らわずに済む。しかし私は断念組に強く言いたい。「いずれ終わるんだからちゃんと治療しよう!」と。

 すべての物事に終わりがある。終わりのない物事は存在しない。これは聖書の重要なメッセージでもある。終わりがあるから忍耐できるし、終わりがあるから今を喜べる。そこで大事なのは「終わり方を考えてみる」ということだ。日々の私たちの振る舞いや言動が、やがて来る私たち自身の葬儀で参列者から何と言われるかを決定づける。今どうしたいかだけではなく、「やがてどう終わらせたいか」を考えることもとても大切なのだ。

 どんなことにも終わりはある。どう終わるか、どう終わらせられるかを想像しながら今日という日と向き合おう。そうすれば、今日の治療の痛みにもきっと耐えられるはずだ。