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ショートエッセイ#58『なぜシーツは汚れたのか』

以前、星野リゾートの社長の話でなるほどと思わされたことがある。例えばホテルで「ベッド のシーツが汚れている」というクレームが入ったとする。この時、多くの人は汚れたシーツを交換して終わりにするだろう。しかし社長日く、それでは問題は解決していないという。大切なのは「なぜ汚れたシーツがそのままになったのか」という原因を探ることだという。搬入口が狭くて作業効率が悪いのかもしれない。従業員の動線に無理があるのかもしれない。業務の引き継ぎ方法に問題があるのかもしれない。 あるいは忙しすぎて確認する余裕そのものが失われているのかもしれない。そうした原因に手をつけなければ、シーツを交換したところで、また同じことが起こる。目の前の現象は消えても、問題そのものは残り続けるのである。
この教訓は人生そのものにも当てはまるように思う。私たちは問題が起きると、とにかく目の前の現象を消そうとする。喧嘩をしたら仲直りをする。仕事で失敗したら謝る。体調を崩したら薬を飲む。しかしそれらはいわば原状復帰だ。つまり、根本原因に対処はしていない。故にまた同じことを繰り返したりする。なぜ喧嘩になったのか。なぜ失敗したのか。なぜ体調を崩したのか。その原因と向き合わなければ、同じ問題は形を変えて何度でも繰り返される。
思えば私自身、歯のクラック治療で似たような経験をした。長年の食いしばりによって奥歯に ヒビが入り、激しい痛みに苦しめられた。治療は無事終わったのだが、最後に歯医者さんから言われた言葉が印象的だった。
「歯は治りました。でも生活を変えなければ、また割れますよ。」
確かにその通りである。目の前のヒビは治った。しかしヒビを作った原因はまだ残っている。原因が残っているなら、現象はいずれ再発する。
聖書もまた、現象より原因を見つめる書物である。怒りそのものより怒りを生み出す心を問う。罪そのものより罪を生み出す人間の在り方を問う。だからイエス様は、人の行動だけではなく、その心にまで目を向けられたのである。
問題が起きた時、私たちはつい現象だけを消そうとする。しかし本当に向き合うべきなのは、その奥にある原因である。ベッドのシーツを換えて終わりではなく、なぜベッドのシーツは汚れたのかを考えよう。
