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ショートエッセイ#60『クリロナのちょっといい話』

サッカーのワールドカップが始まると、毎回世界中のスター選手たちに目を奪われる。プレーはもちろんなのだが、私が意外と気にしていることがある。それは海外選手のタトゥーである。海外選手は実にタトゥーが多い。腕や脚、首元まで大胆に入れている選手も珍しくない。中には「100%JESUS」や具体的な聖書個所のタトゥーを入れている人もいる(ブラジル代表のネイマールなど)。国が違えば文化も違う、タトゥーに信仰を込める人もいるというわけだ。
しかし、その中で以前から不思議に思っていた選手がいた。世界最高峰の選手の一人、クリスティアーノ・ロナウドである。海外のトップ選手では珍しく、彼にはタトゥーが一つもない。そこにはとても驚きの理由があった。なんと彼は定期的に献血をしており、タトゥーを入れると一定期間献血をすることが出来なくなるから、あえてタトゥーを入れないというのである。そう、彼はただタトゥーが無い人ではない。「あえてタトゥーを入れない」人だったのだ。
人は物事を見るとき、つい表面だけで判断してしまう。「なぜこの人だけタトゥーがないのだろう」と思う。しかし、その理由を知ると印象はまるで変わる。自己主張がないからでも、流行に乗り遅れているからでもない。むしろ、自分の体を誰かの命のために用いたいという思いが、その選択の背景にあったのである。
私たちの日常にも、同じようなことがあるのではないだろうか。ある人が断る。ある人が我慢する。ある人が一歩引く。その姿だけを見ると、消極的に見えたり、損をしているように見えたりする。しかし、その奥には愛情や責任感、あるいは信仰が隠れていることが少なくない。だから聖書は、人を外見で判断してはならないと繰り返し教える。見えている行動だけでは、その人が何を大切にしているのかまでは分からないからである。本当に重要なのは、行動そのものではなく、その行動を生み出した心である。
人は見える姿で判断する。しかし神様は、その人が何を愛し、何を大切にして生きているかをご覧になる。私たちもまた、表面だけではなく、その奥にある思いを見つめる者でありたい。そして自分自身も、人に見せるためではなく、神様の前で良い選択を積み重ねる者として歩んでいきたいものである。
