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ショートエッセイ#64『セロリラヴ』


 先日テレビを見ていたら、「セロリラヴ」という野菜が出てきた。セロリラヴ。何者なんだ。気になって調べてみると、「カブラミツバとも呼ばれる」と書いてある。ますます分からない。名前からしてセロリなのかと思ったら、やっぱりセロリの仲間らしい。私は思わず「ミツバじゃねえのかよ」とツッコんだ。しかも私たちが普段食べるセロリとは違って、カブのように大きくなった部分を食べるという。私は「今度はカブかよ」と思った。セロリラヴ、結局、何を聞いても、知っているような知らないような野菜である。

 ところが、これがなかなか美味しいらしい。ヨーロッパでは昔から親しまれ、煮込みやスープ、サラダなど、いろいろな料理に使われているという。全く知らなかったのに、実はとても良いものだった。

 考えてみれば、聖書にもそんなものがたくさんある。たとえば「赦すこと」。言葉だけ聞けば、なんだか聞き覚えがあるしイメージもある。なんとなく、嫌なことをされても我慢しなさい、と言われているようで少し鬱陶しい。しかし聖書を読んでいくと、赦しとは相手のためだけではなく、自分自身がいつまでも憎しみに縛られないための道でもあると気づく。「安息」もそうである。何もしない日などもったいないと思うけれど、聖書は人間には立ち止まる日が必要だとずっと昔から語ってきた。最初は「なんなんだ、これは」と思う。しかし少し味わってみると、「案外いいじゃないか」となる。

 聞いたことあるような言葉だけど実は中身を知らない、でも知ってみると案外いいものだったりする。こうした、言うなれば「キリスト教界隈のセロリラヴ」がたくさんあるのだ。知らないものは、つい自分には必要ないと思ってしまう。しかし、知らないことと、価値がないことは全く別である。礼拝は、そんなまだ知らないものを一つずつ味わってみる時間でもある。ぜひ礼拝で「なんなんだ、これは」の先にある意外な美味しさを探してみてほしい。