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ショートエッセイ#67『無いと増えるもの、なんだ?』


 先日、あるテレビ番組で面白い話を聞いた。とある芸人が奮発して一泊200万円の高級リゾートホテルに家族と泊まったそうだ。一泊200万!そりゃあ内装は見事で部屋数も多く、とにかく豪華絢爛で清潔感に溢れた部屋だったそうだ。ところが、この部屋には1つだけ問題があった。それは……「ゴミ箱が無い!!」

 清潔感を追求した結果なのか、とにかく部屋はたくさんあるのにゴミ箱がどこにもなかったそうだ。で、たったそれだけのことでこの宿泊は実に不便なものになったらしい。人間が生きていればいくらでもゴミが出てくる。鼻をかめばティッシュのゴミが、お土産を開ければ包装のゴミが、飲み物を飲めばペットボトルや缶のゴミが出てくる。ところがそれを捨てるゴミ箱が無いのである。するとどうなるか。行き場を失ったゴミが部屋の中に放置されることになる。その芸人はこのエピソードの締めくくりにこんな風に述べた。「ゴミ箱が無いだけで200万の部屋も台無しなんですよ!!」

 確かにゴミ箱そのものは、決して清潔なものではない。なんせゴミを溜める場所なのだから。しかしゴミ箱が無くなってしまうと、今度は部屋そのものにゴミが放置されることになる。清潔感を求めてゴミ箱を撤去した結果、かえって部屋全体の清潔感は下がるわけである。そう、ゴミ箱が無いと、ゴミは増えるのである。

 よく、こんな風に言う人がいる。

「教会には高潔で穢れの無い立派な人ばかりがいる。私はとてもその輪に入れない。」

 この人は勘違いしている。病人がたくさんいるのは病院である。自分の罪や穢れを自覚する者が集うのが教会である。そういえば昔、ある人が教会のことを「精神のゴミ箱」と言っているのを聞いたことがある。正直、言い得て妙だと思う。私たちは健やかに日々を生活するために、不要な精神のゴミを捨てに教会に来る。「罪の赦し」とは結局、不要なゴミを捨てることである。人間が生きていればいくらでもゴミは出るものなのだ。

 私が学生の頃、サークルの知人(あえて「知人」と言いたい)に「君はクリスチャンらしくない。クリスチャンらしく振舞った方が良い。」と言われたことがある。全く持って失礼極まりない言葉だと思う。そしてもしあえて何か「クリスチャンらしさ」を考えるならば、それは生きる上で発生するごみの存在を認めている人であって、決して高潔で清潔で穢れの無い人ではないと思う。

 あなたの人生には、ゴミ箱はあるだろうか。いくら部屋の内装を綺麗に整えても、ゴミ箱が無いとゴミは増えるばかりである。ゴミ箱の設置を検討してみてはいかがだろうか。