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ショートエッセイ#8『混ぜ物ばかりに慣れてしまわないように』

スーパーの棚には、さまざまなはちみつやメープルシロップ、オリーブオイルが並んでいる。どれも美しいラベルに包まれ、「自然の恵み」「本場の味」といった言葉が添えられている。しかしそれらの液体には驚きの秘密が隠されている。なんでも、流通している量が生産量をはるかに上回っているのだそうだ。どういうカラクリなのか?
実は、市場に出回る「自然から生まれた液体」の多くは、純粋なものではなく混ぜ物が大部分を占めている。はちみつには水あめが、メープルシロップにはカラメルや人工甘味料が、オリーブオイルには他の植物油が混ぜられている。私たちが「本物」と思っているものの多くは、実は手を加えられたものなのだ。理由は単純で、そのほうが扱いやすく、味わいやすくなるからである。純度100%のはちみつは舌がピリッとするほど濃厚で、メープルシロップは驚くほど甘さがなく、オリーブオイルはえぐみが強い…らしい。「らしい」というのは結局私自身も、純度100%を味わったことがないからだ。
本当の味を知らずにいることに気づかないままであるというのは、聖書の教えも同じである。世の中では聖書の言葉が切り取られて格言として扱われたり、キリスト教の考え方が倫理の1つとして紹介されたりする。そしてそれらは言うならば、混ぜ物たっぷりなのである。受け手がスムーズに飲み込めるように、時に甘さが足され、時にクセが抜かれ、まるで加工食品のように「摂取しやすい形」に整えられている。まろやかに加工された福音を「聖書の教え」として受け取って満足している人が多い。
本物の聖書の言葉、そして聖書の教えを純度100%で味わいたければ、それは教会の礼拝にしかない。よく勘違いさせるのだが牧師は「聖書を解説するプロ」ではなく、「聖書の純度100%を抽出するプロ」だ。なぜなら私たちが自分で聖書と向き合うときには、今度は「自分なりの解釈」という混ぜ物が混入してしまうからだ。しかし、そこに「自分なり」という混入物が入ってしまうと、純度100%の栄養や効果はずいぶん薄れてしまう。一方で純度100%の聖書の言葉は、必ず人の思いを変え、人生を変える。だからそれらが味わえる教会の礼拝
には、今尚多くの人が集まるのだ。
あなたは本物の「神の言葉」を味わったことがあるだろうか?もしまだなら、ぜひ教会の礼拝で味わってみてほしい。
