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ショートエッセイ#9『問題があることが問題なのではない』

コンピューターの予期せぬ不調やトラブルをバグと呼ぶ。そしてこのバグ、実にコンピューターにはつきものである。どれほど優れたシステムであっても、想定外の挙動や予期せぬエラーが発生するのが常である。そのために、バグを修正し、システムを安定させるためにプログラマーがいる。ところで、あるプログラマーの言葉が印象的であった。「なにもしていないのにバグが発生したよりも、なにもしていないのにバグが直った方が深刻でややこしい」
素人目には「直った」ことの方が良いことのように思えるが、プロの目線からすれば、それはむしろ警戒すべき事態であるらしい。なぜなら、「なにもしていないのに直った」というのは、根本の原因が特定されておらず、対処がなされたわけではないということである。たとえるなら「なにもしていないのにバグが発生した」は、「気づいたら部屋にゴキブリがいる」ようなものであり、「なにもしていないのに直った」は、「さっきまでいたゴキブリが見当たらなくなった」という状況である。つまり、消えたように見えるが、それは解決ではなく、ただ行方を見失っただけなのだ。今は見えないが、どこかに潜んでいる。そう思うと、消えたことがむしろ不気味で、手を打てないまま不安が残る。
人生の問題もこれと似ている。悩みはつきものだ。無くなることはないし、ある方が自然だ。問題はその悩みや葛藤が「いつの間にか消えた」ように見える時
である。果たしてその問題は本当に解決したのだろうか。ある日突然、心の苦しみが軽くなったように思えることがある。しかし、しっかりと向き合い、問い、祈り、誰かと語り合い、時間をかけて受け止めた結果ならともかく、何となく忘れてしまっただけ、忙しさに紛れて見ないようにしてしまっただけであるなら、それは解決ではない。単に「見当たらなくなっただけのゴキブリ」と同じである。問題が発生することは問題ではない、それに対処しないまま放置され忘れ去られるのが問題なのである。
神様が私たちに与えた心も人生も、ただ「無難に過ごす」ためにあるのではない。ぶつかり、悩み、傷つきながらも、そのひとつひとつに誠実に応答していくことで、私たちの中に深みと信頼が育っていく。消えたように見える問題を「もう大丈夫」と思い込むのではなく、「まだそこにあるかもしれない」と見つめ直す姿勢こそが、誠実な歩みをつくるのかもしれない。
